--> --> --> --> --> --> -->

声の森

 
−アフリカ熱帯森林の狩猟採集民アカの網猟−

                  
 
しんと静まりかえった薄暗い森の奥深くから、とつぜん獲物を追う男たちの太く短い叫び声がわき起こる。しばらくすると、あきらかに人間の足音よりは力強く速く地を蹴る音が近づいてきて、その音にそこかしこの茂みに潜んでいた男や女たちの切迫した声が響いて交錯しだす。無数に顔にむらがってくる小さなハリナシバチを無気力に手で追いながら腰をおろしていた私も、おもわず中腰になって、獲物の姿を見きわめようとする。すると、斜め前方の茂みが揺れて、一頭のブルーダイカー(小型の羚羊)が飛び出し、体勢を斜めにして目の前を突っ切ったかと思うと、私から数メートルのところに張られていた網に絡めとられるようにして動きを止めた。次に私が気づいたときには、私は日本語でわめきちらしながら、網の上から倒れ込むようにダイカーにしがみついていた。

 
1989年2月7日、アフリカ、コンゴ共和国の熱帯森林に居住する狩猟採集民アカの人類学的調査にはいって3ヶ月目、すでに網にかかっていたとはいえ、私は生まれてはじめて自分の手で野生の動物を捕獲した。アカは高さ1mほど、長さ数十mの網を森の中で何枚もつないで、男女数十人が網の張り手となったり、勢子や待ち伏せ役となったりして、ダイカー(羚羊)類を狩るために囲い込み猟をおこなう。私は、アカたちの猟を観察していて、偶然にも間近の網に飛び込んだダイカーを取り押さえたのである。たとえ体重が5kgほどの小型ダイカーであっても私は自分の手で獲物を取り押さえたことに大得意であったが、私が思わず知らず叫んでいた日本語は、しばらくの間、アカたちの笑いぐさとなった。アカたちは獣皮やニシキヘビの皮を使って小さなポシェットを作るのだが、かれらはそれを「コォラ」と呼ぶ。逃がすまいと無我夢中で私が獲物に向かって発した「こら」という怒声を聞いて、アカたちは私が度を失って獲物をポシェットに入れようとしたと冗談を言いあって笑うのだった

 
アカたちは朝から夕暮れまで数回の網猟をおこなうが、一回の猟が終了すると次の猟場に近いところに全員が集まって休憩をとる。適当な休憩地に先着した男が、他の狩人たちに場所を知らせるために高音域の裏声で歌うように叫ぶ。澄明なファルセットで、鬱蒼とした森のなかをどこまでも響いていくような声である。叫び声は母音を連ねただけの意味のないものであることが多いが、集合場所をはっきり知らせるときには、獲物となる羚羊の名を叫んだり、あるいは特定の個人名を使ったりすることもある。ある年には、性的に応じてくれない夫をしたたかに殴ったという近隣のアカの集団の女性の名前が、次の年に調査に行った際には、アカの間では一般的でない性愛を要求して妻にこっぴどく叱られた、やはり別の集団の男性の名前がよく使われていた。狩りにいったアカたちの集団とこれらの人物や人物が属する集団との間に対立や衝突があったわけではない。網猟は、多数の参加者の協同を必要とするすぐれて技術的な自然資源の獲得活動だが、人々が一つことに集い働くという側面に、私が狩りに同行したアカたちは別の集団のエピソードを題材にしてちょっとした「遊び」を付け加えていたのである。私の狼狽した声の真似も、しばらくの間、獲物にとりすがる私のへっぴり腰のゼスチュアまでおまけに添えられて、猟の合間の座談を盛り上げる格好の演目となった。

 
ブッシュに潜む獲物をせき立てる太い声、互いに位置を知らせる問いかけるような短い叫び声、獲物を見つけたときの切迫した声、獲物をとり逃がしたときの大仰な嘆きの声、森にしみ通っていくような集合の合図、休憩場所で身振りたっぷりに狩りの模様を語りあう男たちのさんざめく声、男たちの話を聞いて女たちが発する冷やかすような笑い声、狩りは動作だけでなくアカが森で発するさまざまな声の集合でもある。アカは森をかれらの無数の先祖の霊がさまよう、かれらの歴史が刻まれる場所だと考えているが、アカが発したさまざまな声は木々の合間に吸い取られ消えていって、アカを包み込む森の記憶に溶け込んでいくのであろう。その記憶のどこか片隅に、戯れに人の名前を叫んでいたアカの声、そしてきっと、遠いところからやってきて思わぬ獲物との格闘に狼狽してあげた私の叫び声も刻まれているはずである。


 1997年にコンゴ共和国に内乱がおこり、その後、私はアカのもとに調査に行っていない。しかし、風聞によると、内戦など関係がないように、外資系の伐採会社は次々とアカの住む森に伐採路を切りひらいていると言う。昨年(1999年)、中央アフリカ共和国の、コンゴでの調査地から数十kmほど離れた国境地帯を見てまわった。古くから伐採が進んだ国境沿いの森は無惨で、熱帯森林と呼べるような景観を失っていた。アカたちはいつまで、森のなかにかれらの声の記憶を刻み続けることができるだろうか。